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22 posts from August 2007

Aug 30, 2007

あたらしい鞄

 ようやくあたらしい鞄を買った。革のリュックを持っていたけど、夏は背中が暑くて使う気がしなかった。なんでもポケットに入れて出かけるのは、もう終わりだ。これは中古。なんのことはないシンプルなヌメ革の鞄。と言いつつ、随分探した。普遍的でいいと思う。

070830_3 話は変わって、ロモとかホルガとか(よく知らない)、とにかくトイカメラが欲しいのだが、あれはアナログだ。デジカメとは違うので、スキャナーがないと撮った写真をここにアップできない。スキャナーはない。さて、どうしよう。とりあえずPhotoShopでデジカメ(携帯です)画像を、トイカメラっぽく加工しようと試みている。それっぽく加工できるプラグインをダウンロードして、しかしそれでももの足りないので、露光量とかカラーバランスとかをいじる。せっかくピントを合わせてきれいに撮った写真を、わざわざピンボケ加工して、数字をいじって色合いをおかしくするのは、なんともばからしい。

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Aug 29, 2007

白い身体に蟻が這う前に

 蝉が、とにかく蝉が、じゃわじゃわと大勢で鳴いている。なに蝉だとかいう聞き分けはもう無理だ。こんもりと緑色に盛りあがる森の前。木々をどんなに見つめていても、声の主を見つける事はできない。ひときわ大きな木を見上げて、「森が鳴いているのか」、と呟いてみた。

 渡り鳥が殺されたのは、その先のところだった。

 白い羽を広げたまま地面に横たわっている。そこだけ時間を切り取ったように、色を放っている。なんて美しいんだろう――。光を洗う高貴な白い肢体。その、ひとところも汚れのない白い羽をはばたかせたならば、次々と淡い物語がふところからあふれてきそうだ。

070829  死んでいる。どうしてこんなところで死んでいるのか、分からない。

 土の中にない死んだ鳥の姿が、どんな風に変わり果てていくのか、僕は知っている。どんなに肉が黒いか、どんなに骨が乾くか。鳥を受け入れなかった景色が、どれほど長い間、死の臭いから逃れる事ができないかを。



 土をかけてあげなくては――。家に帰り、これを書きながら、ずっとそれが頭から離れない。

 

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Aug 26, 2007

茂木健一郎 講義をダウンロードできます

 茂木健一郎 クオリア日記にて、先日の『美と「私」―制約を恵みに変えるために―』の講義がダウンロード(mp3ファイル)できます。ぜひ聞いてみて下さい!(開始1分程でお話が始まります)

現代美術という限定された話ではなくて、いろいろなところに響く内容。生きる上でのたくさんのヒントがある。とにかくおもしろいです。

 この人も、一人称が「僕」と「おれ」、2つ同時に出てくる。こうなってしまうニュアンスがすごくわかる。頭と身体がそれぞれ喋るから混ざるというか。実は僕もそういう類で、少し悩んでいたのだけれど、こんなでも別に良いんだなと思った。

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 昨日はちょっと(だいぶ)エネルギー(僕とおれでいうと、おれの方)が足りなかった。昼食を食べ損ねていたのだった。しっかりご飯食べて、頭も身体も使ってもっとエネルギッシュに行動を。

実にいい夏休みだった。

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Aug 25, 2007

『美と「私」―制約を恵みに変えるために―』と猫

 横浜美術館で行われる講演を聴講しに行く。なんとなく参加することにしたのだ。

『美と「私」―制約を恵みに変えるために―』というタイトル。始まってみると、壇上に出てきた講師が見たことある人。アハ体験でお馴染みの、茂木健一郎という脳科学者だ。テレビをほとんど見ない僕でも知っている有名人だ。どおりで聴講者が多いわけだ。それに束芋(現代美術家)も聴きに来ているではないか。すごいすごいとテンションが上がる。

 内容はとても濃い。制約と自由、個性との格闘、普遍への到達。テレビとは全く違う、ディープな現代美術、哲学の話。夢(絵でも演劇でもアニメでも恋愛でもいい)について、ついつい朝まで語り明かしてしまうような、熱い講義。終わって放心して外へ出ると、へなへなとベンチに座り込んでしまった。

070825a_3  自分が感じて考えている事は、方向性としては間違ってもいないのかなと思った。やっぱりそういう感じだよなと。しかし、感化されて負った傷のせいもあるとは思うけれど、途中からなんだか苦しくなった。僕は美大生でもないし、絵描きでも作家でも音楽家でもない。平凡な自分はどこにこの経験を還元すればいいのだろう。結局のところ、一通り思考した後には、一般人の僕にとっては「だからなんなんだろう」と、意味を伴えば伴う程、無意味に白けてきてしまう。


 情熱が空回りしている。身体を置いて頭だけ空を飛んでしまっている――。


070825b_2  最近、絵が描けない。表現というものが何者かなんて、知らない方が気楽でよっぽど意欲が湧くんじゃないだろうか。急激に本物を知ってしまうと、恥ずかしくて趣味でなんか絵なんて描けやしない。平凡な社会で平たく生きる事もできず、表現の世界で苦悩して生きる事もせず――。

自分は、椅子に生えたきのこのように中途半端なのだ。





 ぐるぐると考えながら、歩き、道を間違え、海に着いた。そこには猫が居て。僕の顔を見るなり、ふうん、と片付けてしまうのであった。そして、僕もどうでもよくなった。

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森村泰昌「美の教室、静聴せよ」展

横浜に来た。海もあるし美術館もあるし。森村泰昌 「美の教室、静聴せよ」展

070825_2 展示は授業形式になっている。ホームルームで始まり、一時間目、二時間目と進んでいく。渡された小さな機械で講義を聞きながら、作品に参加していくのだ。楽しい。

最後に試験に回答して終了証書がもらえる。僕は貰えなかった。どこの部屋で拾ったのか、いつのまにかみんなその問題用紙を手に持っている。僕は持っていない。なんだか急につまらなくなって、誰にも言わずそのまま出てきた。この要領の悪さ、というか、「は」と気づくとぽつんとしてしまっている感じは、まさに学校のそれの時と一緒だった。

その後、同美術館で行われる講演を聴講しに行く。(つづく)

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Aug 24, 2007

嫌いなのに海に行く

 昨日から夏休み。海を見に江ノ島に。

 電車を降りると、もうそこは海。身体の奥底で眠っている忘れ去った本能を呼び覚ますような、原始的な香りがする。海は嫌いだ。一番海から遠い人間だと思う。先日パートのおじちゃんから、江ノ島で泳いできて(水泳がすごい人なのだ)帰りのビールがおいしかったよ、という話を聞いて、ああうまそうだ、と思ってひとりで来てみちゃったのである。もちろん泳ぐわけはない(泳げない)ので、砂浜を散歩して、まずは新江ノ島水族館に。




 凄い凄い。水の中、水の中、水の中。魚の目の玉はくろぐろとまんまるく、目の形に穴があいている。巨大なサメが上からこちらを見張っている。ガラスの向こうはもはや神奈川県ではない。人はあれを魚だなんて命名して呼んでいるけれど、あれはきっと魚ではないな。3メートル程もあるタカアシガニなんて、救いようのない程に気持ち悪い。骨だ、あれは。骸骨がぱくぱくと、食欲に支配されて蠢いている。人はあれを食べようなんて全く趣味が悪い。とにかくおもしろくておもしろくて、元気な子供達に何度も足を踏まれながら、立ち尽くして眺めてしまった。

070824  夕方そこを出て、浜辺へ行き、カフェの様な洒落た海の家でごぼうの揚げ物、手羽中のからあげ、ビールを並べる。馬すぎる。


 目の前の空はいつしか波となって砂に寄せ、そして海へと帰っていく。繰り返し、繰り返し。一時も休まない。ああ、何も無い。何も無いのに景色なのだ。

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芋焼酎を2度程飲み干して、嫌いだった海を後にした。

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Aug 23, 2007

Y'sのシャツ

 書店の本棚から本を3冊選ぶ。しかし実は、身体の半分は洋服に気が散ってしまっている。さっきそこのY'sで見たシャツがどうしても気になるのだ。なんの事はない、定番のゆったりサイズの黒い長袖シャツ。風にひらりと翻(ひるがえ)るレーヨン。今もほとんど同じようなシャツを着ているというのに、また欲しくなるのは、同じシャンプーあるいは化粧品を使い続けようとするのと一緒だ。ところが、洋服はいつもでも同じものを売っている訳ではないので都合が悪い。

070823 いてもたっても居られず、担当のいる店に移動して、確保してもらった。最近のY'sの中でも、ヨウジらしいビッグシルエットを復刻している、いわゆる社長ラインの物のようだ(たぶん)。来週に試着。

なんだか、自分にはもう新しい試みはいらない。同じ好きな服が着続けられればそれでいいや。年とるってこういう事か。

 立ち上がりの時にもらえなかったブックレットをもらえた。渡すの忘れてたそう。ポスターにもできて格好良い。

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Aug 21, 2007

毎日ストレッチ

 整体と合わせて、ストレッチを始めている。

P04001251_3 「おしりを床に付け、両足裏をくっつけます」。ふむ。「次に背筋を伸ばすように、おしりを浮かさないよう気をつけながら、上体を前方に倒します」。ふむ。前に、前に・・・、前!。おかしい。うんともすんとも曲がらない。やり方をもう一度確認。うむ、間違ってはいない。ん、と息を止めてがんばってみる。動かない。さっきから同じ姿。

 「さらに上体を倒して、頭を床に近づけます。出来れば、床につけます」、と説明は続く。こちらの事情はおかまいなしか。全く動かないのだが、頭、とは、やはりあの、頭、のことだろうか。他に頭という部位は知らない。床につけます。床。ん、と息を止めていくら見つめても、床のごみがよく見えるだけだ。

 何がストレッチなのか訳がわからなくなった。

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Aug 19, 2007

花のアントは?

 太宰治「人間失格」を読む。背中にじっとりと汗をかきながら読書をしていると、夏の風情を感じる。読書感想文の思い出があるからなのだろうか。僕は読書感想文はもちろん、作文が大嫌いだった。いかに課題図書を読まずに作文するか、という事ばかりに知恵を絞りだそうとしていた。



 作品中に、対義語(アントニム)の当てっこ、という遊びがでてくる。


“黒のアント(対義語の略)は、白。けれども、白のアントは、赤。赤のアントは、黒。「花のアントは?」”


と始まる。ああ、これはおもしろいなあと。とても詩的な連鎖だ。どきどきする。


“~中略~「・・・花のアントはね、……およそこの世で最も花らしくないもの、それをこそ挙げるべきだ」
「だから、その、……待てよ、なあんだ、女か」”


思わず、にやりとする。むしろ、女は花の同義語(シノニム)とする方が妥当だろう。しかし、女と一口にいっても様々。例えば、処女も娼婦もどちらも、女だ。花のアントは別なものの様な気はするが、女というのもおもしろいなと思った。女が花だというのは、幻想的すぎていい加減気持ちが悪いかもしれない。

 この遊び、きっと人それぞれ結びつける言葉が違う。しばらくはまりそうだ。

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Aug 17, 2007

整体院へ

 予約していた整体院に行ってきた。案の定、首が歪んでいると言う。首の筋肉も、ものすごく張っている。3番目と4番目の骨が、あっちことこっちを向いているらしい。けんかでもしたのか。骨盤も歪みがあり、右足が短いですね、と言う。右足が短い。そんなつもりはない。妙に恥ずかしい。ごりごり、どったんばったん、として直してもらった。猫背も矯正。最後においしいお茶を頂いて帰ってきた。

身体が軽い。視界が違う。まるで身長が伸びたみたいだ。本当に。これからもがんばって通おうと思う。がんばるというのは、お金のことだが。




******

 ジュンク堂で、さかざきちはるの「ずっと、あなたのそばにいるよ」という絵本(大人向け)を読む。そのあたたかくて、しかし切ない話に、思わず視界が滲んでしまう。色々なことが重なる。過去も、そして未来も。大人になって家族と離れて暮らしている人は、読んで欲しいなと思う。

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Aug 16, 2007

裁判所に行くんです

 本の虫だと言う後輩に、夏休みはどこに行くのと尋ねる。大学時代のともだちとヨコハマで会って裁判所に行くんです、と言う。裁判所。宿題の絵日記にでも描くような晴れやかさで、さらりと言う。ああ、この娘はなにか変な事を言い出してしまった。会話の中に唐突に口を開けた穴ぼこに、すとんと落とされる。

はて、裁判所とはそんなにカジュアルに訪ねる場所だったか。相手からは見えないところでざわつく。相づちは急がなければならない。まばたきよりも早く悩む。裁判所、という明朝体は質量を失う。


「裁判所?」


笑う事で、色も形も分からないものを無理矢理に許容した。もうこの言葉は相手の思いのままだ。動揺が見つからないように、顔の筋肉には気を使う。目は笑っているつもりだ。


 なんのことはない。傍聴してみたいのだという。いや、よく分からないが、やられたと思った。裁判を傍聴するなんて、そんな選択肢を並べてみたことすら僕には一度もない。女の子が休日に友達と裁判所。色気も何もないが、この発想はとにかく新しい。夏休みに裁判所もお台場も同じなのだ。聞いたことのないなぞなぞを出された時の様にわくわくし、身体の中を何かが充満していく。

空では、敗北したクーラーが、興味なさそうに空気を出し入れし続ける。

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Aug 15, 2007

整体院を予約

 既にご存知かとは思うが、あつい。夜に帰宅すると、部屋が40度もある。植物が煮えてしまうんじゃないかと心配だ。

070815  整体院の予約をしてきた。基本的に、世の中の標準サイズは僕には少し小さい。机、イス、ベッド・・・。仕事で姿勢を崩して作業するので、背骨に負担を感じる。このところ具合が悪いし、姿勢が崩れるのも嫌なので、ケアしてもらう。保険がきかないので少々高いが、リラクゼーションも期待できるし楽しみ。調子が戻ったら、ヨガもいいなと思う。

 ピアノ教室とか、こういう事にお金を使うことは良い事だ。物欲ばかりを満たすのは少し考え物だな、と気付く。

 頭は気付いて、皮膚はあつい。

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Aug 14, 2007

お盆休み

お盆休みを過ごす人たちの、のどかで緩やかな時間の流れは、会社にいてもどこからか入り込んでくる。ドアを閉めても、窓を閉めても。わずかな隙間から、そーっと滑りこんできては、床を這い、足を伝い、冷めた身体に忍び込む。侵入を許す午後の寛大さに、ねこは横に伸びる一方だ。

餃子を焼く。あるいは、蒸す。いずれにしても餃子。

蝉を踏まないようにと、きょうも気を付けて夜へ帰る。

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Aug 11, 2007

ドラえもんも避難する

 国立新美術館は展示室外にイスがたくさんあるので、用が無くてもいてもいい。3Fには図書館もある。カフェで食事もできるので、用がなくてもいてもいい。涼しい。

070811  ミュージアムショップで深沢直人の本を立ち読み。避難経路の表示をデザイン(というかまんが化)したものがあった。その発想が秀逸で感心してしまう。その何ページか後に、これが。ドラえもんが避難している。これはかなり良いと思う。

 そういえば、新美術館の避難経路の表示は長方形をしていない(1Fしか観察してないが)。小さく真四角であった。あれは規格外とかそういうのではないのだろうか。

 ミッドタウン内を歩いていたら、偶然、インテリアショップ内で18:00からジャズの演奏があるというので見てきた。売り物のソファにもたれて1時間。生でウッドベースを見たのは初めて。なんともセクシーであった。

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Aug 10, 2007

汗だくでブルーノートを弾き倒したい

 朝食後にぼんやり。椅子から、ずるりずるり、とずり落ちていく。やがて床に落ちたが、暑くて動く気がしないのでそのままでいたら寝てしまった。

 光合成を夢見ている場合ではない。

 ピアノを始めるつもり。週末に教室にも通って、レッスンも受ける。それに先駆けて、まずピアノを買うのである。屋根の付いたグランドピアノに憧れる。でも、こぢんまりと電子ピアノを買う。さて、いくら投資するか、だ。ヤマハ、カワイ、ローランド、コルグ、カシオ。見たり、押したり、叩いたり。鍵盤の重さや、音色、ペダルの仕様を確認する。新入生なのでこっそり主張したいが、見た目も大事だ。音楽にイメージは不可欠。黒がいい。水辺を覗くように透明な黒がいい。

果たして続くのだろうか。まずはそこに値段がつく。

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Aug 09, 2007

「スキン+ボーンズ - 1980年代以降の建築とファッション」展

 六本木には美術館が3つもある。そのうちのひとつ、国立新美術館に初めて行ってきた。「スキン+ボーンズ - 1980年代以降の建築とファッション」展を見に。

 とりあえず、展覧会が洋服絡みという事で、普段街では見かけないようなお洒落な人が多かった。いかにもヨウジ、Y's(正直、femmeは見分けつかない・・)という真っ黒い人があっちにもこっちにも。というのも、展覧会には山本耀司の作品もあるのである。アレキサンダー・マックイーンやヴィクター&ロルフ、コム デ ギャルソン、ヴィヴィアン・ウエストウッドなども。

 自分でも予想はしていたが、ヨウジだけでお腹いっぱいになってしまった。1999年 春夏のウェディングコレクションの映像があったのだが、それだけで40分。でも、それはもう素晴らしく格好良くて、鳥肌が立つ。真っ黒いロングドレスをまとった女性が登場したかと思うと、歩きながら、はめていた手袋を後ろへ、右、左、と投げ捨てていく。帽子(だったかな)も投げ捨て、アイシャドウ(?)を両手で、ごしごしと拭い、襟元の布をはずして口紅を拭う。そうして、さっそうと去っていく・・・。他にも、靴や上着を脱ぎ捨てていったり、ポケットから取り出して身に着けたり。こういう様な演出が色々とあり、とにかく感動した。

その後の、ファッションと建築がどうとか言う話はまったく頭に入らず。まぁ、仕方ない。




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 国立新美術館は、とても大きく開放的で居心地が良い所だった。見終わった後、お腹がすいたので、地下のカフェでクラムチャウダーを注文。クラムチャウダーを食べるのは初めて。見たときからそんな気はしていたが、これはあまり好きじゃない。

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人の中に生きるという事

 「ぼくらはじぶんの存在をじぶんという閉じられた領域のなかに確認することはできない。ちょっとややこしい言いかたをすると、ぼくらには《他者の他者》としてはじめてじぶんを経験できるというところがある。ぼくらはじぶんをだれかある他人にとって意味のある存在として確認できてはじめて、じぶんの存在を実感できるということだ」

と、ある図書の一文を紹介しているのは、思索の道というブログです。鷲田清一『ちぐはぐな身体 ファッションって何?』(ちくま文庫、2005年)について興味深い考察をされているこの記事。

最後に、こう締められます。

 「自立」など、親不孝以外の何ものでもない。
 そんなこと、しようとしないほうがましだ。
 親に甘えているのが、親孝行だ。

本とは離れてしまうのだが、これに、はっとした。

***********




 僕は、自分以外の人に甘えるのが下手くそだ。距離の近い存在である恋人(過去の話だが)や家族に対しても。しかし、これには全く理由が無いわけではない。僕は幼い頃からアトピーを患っており、今のように当たり前の生活ができるようになるまで、自分なりに苦労をした。学生の頃に、病院の先生と薬、両親のサポートが絶対条件である時期を送ってきた。自分ひとりでは生きていけないという境遇から、将来を傍観したとき、その先の霞む様な遠い風景には、上空からじっとりと絶望が滲んできた。年齢を重ねていくうちに、「ひとりで生きていけるか」、という自らの問いに、強がりでもいいから“Yes”を出す必要が迫ってきた。少しでも早く。

だから、誰かを頼りにして自分を甘やかしている場合ではなかった。(もちろん、試行錯誤が始められたのは、先生や両親のおかげで回復のチャンスを得られたからである)。両親の支援を邪険にしてしまう事も度々あった。全て自分で解決していく、という新たな経験だけが、自分の空を塗り替えていく唯一の材料だったのである。強く生きていくんだ、と呪文のように唱えていた。





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 時間は経ち、全ては穏やかになった。けれど、知らぬ間に、甘えるというのがどういう事なのかよく分からなくなっていた。優しくされるのも、築いてきた自分が壊れてしまう様で苦手だ。でも、「心配かけない」とか「迷惑かけない」とかいうのが、淋しい行為にも成り得るという事には気づいている。

まだ27歳。自らきつく結んだ紐を、今はそろそろと緩めている所、という訳だ。

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Aug 07, 2007

Yohji Yamamoto (Memoirs)

 こちらは先日、森タワー3Fミュージアムショップで買ったヨウジヤマモトの本、「Yohji Yamamoto (Memoirs)」。貴重な写真が見れる。洋書なので文章は読めない(英語だめ・・・)のだが、どうやら翻訳版も出ているようです。しまった。

070806 最近のものではないし、ショーの写真はなく、イメージショットが多い。が、山本耀司好きにとっては、これはたまらないものがある。特に、耀司氏がショーのバックステージで(?英語わからない)洋服を前に悩んでいる姿や、アトリエでフィッティングを行っている姿は、鳥肌が立つ。たまらなく格好良い。

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Aug 05, 2007

会田誠 「MONUMENT FOR NOTHING」

 前回にちらりと書いたが、森タワー3Fのミュージアムショップで本を買った。会田誠の作品集「MONUMENT FOR NOTHING」(サイン入り!)と、ヨウジヤマモトのアートブック。今回はまず、会田誠の方。

 ル・コルビュジエ展の帰りに、これを偶然立ち読み。そのあまりにも衝撃的な内容に、完全に打ちのめされてしまった。会田誠の作品は、というか会田誠は、もういろんな所からいろんなものがはみ出してしまっている。とにかくおもしろい。笑う。でも、一方で自分が恥ずかしくなってくる。相変わらず、ちっぽけだったなと。とにかく、凄い。感想になってないが、言葉が追いつかないのだ。「アートで候。」行きたかった・・・。実物を見逃した事を悔やむ。

ART TOUCH 美術展評 「会田誠の美少女 」こちらを読むと美術的に理解が深まると思います。)

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Aug 04, 2007

まだ六本木

 ミッドタウンに来た。裏の緑地。蜻蛉、揚羽、犬、がいる。猫は見えない。暑いので、カフェでアイスコーヒーを買うつもりでいたのに、気付くと生ビールを握っている。この街は座るところがたくさんあって好きだ。まだ4時。座る。潔く、酔う。さっき買ったばかりの会田誠の作品集は、外ではいささか照れた。

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 こんな所に座り込んでどうしたのかというと、他にすることがわからないのだ。この場所が好きだから、ここにいるだけ。4ヶ月前の再就職と、失恋。手に入れたものと、失ったものとあった訳だが、社会的には安定し、第二の人生が始まったばかりなのである。 

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 さて、これからどうしようか。途方もない時間が目の前で口を開けて待ちかまえている。暇だ。人の犬の動きを眺めていても、アイデアは浮かんでこない。孤独死、という言葉が頭を通過していく。通過していくだけ。犬は、目の前を通過する度に毛質を変え、異種に成りすましている。自分は、やはり、何かが間違っているのだろう。ぼんやりと考える振りをしているうちに、空は光に溶かされてゆき、やがて足元に落ちてきた。

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Aug 03, 2007

ル・コルビュジエ展 「建築とアート その創造の軌跡」

 ぐるりと階段をのぼり、ガラスの橋を渡って、薄暗い受付でチケットをもらい、耳が、きーん、となるエレベーターに連れて行かれて放り出された先には、なんだか凄く長いエスカレーター。まだ続くのか、と矢印に聞きたい気持ちをもう少ししまって、伸ばし放題のエスカレーターを上りきると、ここは本当にまだ六本木だろうか、と。耳が、きーん、となって、長いコンベヤに運ばれているうちに、どこかいい加減なところへ運ばれてしまってはいないだろうか。そんな事を考えながら、森美術館に着いた。

070802 ル・コルビュジエ展 「建築とアート その創造の軌跡」。20世紀最大の建築家と呼ばれている。

 展示は、絵画に始まり、彫刻、模型、建築、ビデオ、とかなりのボリューム。建物を再現してあり、中に入れたりするのでとても楽しい。コルビュジエの建築はなんとなくは知っていたが、改めて観るとその美しさの虜になる。建築は、ちいさく額縁に入れて飾るためではない訳で、街の一部となり、人が住んだり、長きに渡り安全に利用するものだ。実にいろいろな事を同時に実現している、という事実が、その造形の美しさをますます美しいものにしているように思う。直線と面。四角、色、曲線。四角、四角。いちいち、ため息が、出る。

 「4つの白い住宅 絵画+時間=建築」という10分程のビデオが上映されていた。建築を分かりやすく分解していて、これがおもしろい。コルビュジエのソファに埋もれて眺めていると、居心地が良くて、このままあしたになってもいいよ、と思った。特に予定もない。




*********

 余談だが、このビデオの冒頭に使われているピアノの曲がどうしても知りたくなった。最後に紹介されているのを発見したが、これが1秒程しか映らない。長い英語だな。わかったのはそれだけだ。つまり、その後何度も同じビデオを観ることになった。10分あるが、用があるのは1秒だけ。5回も観た。ということは50分か。帰りが遅くなったのはそのせいだな。「Gnossienne」の第一番、という曲だそうだ。

*********



 全てを観終えて出ると、レストランから運ばれる良い匂い。あ、いいなあ、と思った。料理は運ばれてはこない。

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Aug 02, 2007

途方に暮れる

「毎日用意されるのは、1本の同じビデオテープ。これだけ。僕にあるのはこれだけで、他にはない。時間が経てば、自ずとテープは増えていくのだろうと思っていた。でも、そうではない事に最近気づいてしまった。明日も、明後日も、これしかない。ひとりで見る。黙って見る。

僕の顔にも立派な目の玉がふたつ付いているが、目の前のひかりにはなかなか焦点を結ばない。心の中で浮き沈みする、無数のまあるい記憶。時々、誰にも気づかれないように、皮膚の内側でそれをひとつ拾い上げる。そっと拾い上げたら、両手で撫でる。眺める。そしてまた、沈める。皮膚をまたいで行う曖昧なままの呼吸は、夜の訪れとともに暗やみに溶かされていく。そして、朝に待つのは、巻き戻されたあのビデオテープ。

映し出される日々は、終演の見えないモノローグ。」

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